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2020年12月18日金曜日

故村野藤吾先生『百年後を考えた、文化遺産』

 今年最初の寒波が日本列島を覆い

去年の暖冬から一変、

一気に雪景色となりました。


そして今年も残すところあと二週間と

なって参りましたが

みなさまいかがお過ごしでしょうか?



今日は、建築家の村野藤吾先生を

ご紹介したいと思います。


村野先生は、1891年生まれで

佐賀県唐津市出身です。


谷村美術館完成まで七回ほどお見えになったそうですが

設計をお願いした、谷村建設の初代社長

谷村繁雄氏によりますと

“駅から現場に着くと同時に、休憩もせず

冷え冷えとしたコンクリートの中に入り

一部屋ごとに技師に指示をされ

あまりの厳しい寒さに休憩をすすめても

三、四時間立ったきり“だったそうです。

村野先生の仕事に対する情熱と

気迫に圧倒されたと、著書に記されております。



当美術館の峻工時、村野先生は92歳で

最晩年の作品です。

それゆえ魂から滲み出るようなものを作らなければならないと

という使命感を抱かれていたようです。

そのためかこの建築に固執し、執着していたそうです。

何人もいるお弟子さんには一切を触れさせず

一から十まで自身の手で作りあげられました。

自分の納得しないものを、他人に見せるのは失礼

と考えられてのことか

展示作品を作った彫刻家の澤田先生でさえも

完成するまでは、中に入れなかったそうです。



建物の外観は、中国の敦煌(とんこう)の

石窟(せっくつ)寺をイメージして作られました。

敦煌は、砂漠のオアシスで

古代よりシルクロードの交差点として栄えました。

シルクロードは、1980年代に

テレビで盛んに取り上げられ、日本でブームとなっていました。


敦煌の石窟


そして仏像を安置する美術館であったため

”ここに入館する者は、ある程度の心構えが必要である”

と村野先生は考えられました。

美術館に入る前に、長い回廊を歩き

心を鎮めて頭を垂れるような心境にたどり着けるように

と狙って、このような作りにされました。



日本建築家でも輝かしい業績を残した『村野藤吾』

日本最高峰の彫刻家『澤田政廣』


「百年後を考えた文化遺産」と

「澤田芸術との調和」が見られる

日本建築界と彫刻界をリードした二人のたましいの結晶を

ぜひ糸魚川に見に来ませんか?


スタッフ一同
皆様のお越しをお待ちしております。

いつもたくさんのご来園ありがとうございます。

(K)


【翡翠園、玉翠園・谷村美術館HP http://gyokusuien.jp/

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